秃头!丑女!人身攻击!日本那些难以被理解的“搞笑文化”
外国のジョークや笑いを理解するのは至難の技だ。というのも、異なる文化圏でジョークがジョークとして認識されるには、発信者と受信者の間に言語的、文化的な共通の理解がなければならないからだ。
要理解外国的笑话及搞笑表演其实是极难的技能。这是因为在不同的文化圈中,想让对方明白这是笑话,必须建立在表演者与观者之间在语言、文化上能达到共识的基础上。
例えば、関西で売られている「忖度まんじゅう」。これは森友学園の土地取引について安倍晋三首相や妻昭恵氏の「忖度があった」という問題を揶揄したものだ。これを見て、ただのまんじゅうではなく風刺になっていると気付くには、日本語が理解でき、さらに「忖度」が世間でこれまでにどのような文脈で使われていたのかを知っていなければならない。
举个例子,在关西大受欢迎的“忖度馒头”。是在揶揄安倍晋三首相及其妻子昭恵氏有关森友学园土地交易的问题。要明白这不是单纯的馒头,而是一种讽刺,必须理解日语,并且还要知道“忖度”一词至今为止用在怎样的文章中表达什么意思。
截图来自猪猪字幕组
ここで私の頭をもたげてきた疑問は、「私が現在住んでいる異文化のドイツで、日本の笑いはどのように映るのだろうか?」ということである。
于是,我脑海中突然有一个疑问,“笔者现居住的和日本文化不同的德国,如何看待日本的搞笑表演呢?”
ヨーロッパでは、容姿や家庭環境をネタにした笑いを好まない傾向にある。自虐ネタも含めて、容姿に関するジョークはほとんど聞いたことがない。
在欧洲,大家不喜欢以人的样貌、家庭环境等为段子的笑话。包括一些自黑段子在内,基本上见不到抹黑外表的笑话。
これらのテーマをネタとして扱った日本のお笑いについてドイツ人の反応を知るために、まず日本のテレビ局が放送したバラエティ番組を、日本語が分かる3人のドイツ人に見てもらった。内容は「太り過ぎ」「ハゲている」「ブサイク」「子どものころ貧乏」などというグループに芸能人を分け、それぞれがその特徴を面白おかしく話すというものだ。
为了了解德国人对常以“人身攻击”抖包袱的日本搞笑表演的反应,我请了三位会日语的德国人看了综艺节目中的片段。内容是根据不同特点把艺人分成小组,“太过肥胖”小组、“秃子”小组、“丑八怪”小组、“贫穷少年时代”小组等,根据他们的特征进行了有趣的谈话。
「この芸能人たちは確かに少々体格が大きいけれど、本当に不健康なほどに太り過ぎなら、ちゃんと体重を落とすべきで、茶化している場合ではないのでは!?」
“这个艺人确实体格过于庞大,如果是胖到不健康的程度,就应该赶紧去减肥啊,不是在这边胡闹的时候。”
「彼女はブサイクと笑われるような容姿なんかじゃない!かわいいよ。それに『恋人がいる』『いない』は他人が口を出す話じゃないのでは」
“她的长相并不应该被大家嘲笑丑!很可爱哦。并且,有没有恋人别人不应该随便乱加评论。”
「子どもの頃にどんな環境で育ったのかは、その人が決められることじゃない。それを笑うなんて……」といった意見が出た。
“小时候在怎样的环境下被抚养成人,并不是那个孩子可以决定的,这样被当做笑料有点儿…”出现了这样的意见。
続いて見てもらったのは、コンビ芸人による漫才だ。2人1組でマイクの前に立つスタイルそのものが、ドイツ人にとってはすでに物珍しいようだ。確かにドイツのお笑いスタイルは、1人の芸人が舞台上で延々と語るというものが多い。
接下来让他们观看的是,搞笑艺人组合的漫才。两人一组站在话筒前的样子,在德国人眼中很是新奇。确实,在德国常常是搞笑演员一个人在舞台上无止境般地说。
漫才の内容を理解するためには、日本語および日本文化が分かるという前提条件をクリアしていなければいけない。そういう点で日本のコンビ芸人による漫才は、感想をもらう以前に、彼らには少々難しかった……。
理解漫才的内容,有一个前提条件便是必须懂日语且了解日本文化。基于这点来说,先别说让他们给出感想,就连理解日本搞笑艺人组合的漫才内容都有难度。
漫才の他に一発芸などもそうだが、これらには笑いを提供する側と享受する側のあうんの呼吸が必須だ。芸の「オチ」は毎回同じなのに、観客はいつもそれに大笑いする。観客は笑うのみならず、そのオチを既に知っていて、そのオチが来る瞬間を待っている。日本の笑いはお決まりの芸が繰り出されるまでのプロセスを楽しむ、いわばジェットコースターが頂点に達するまでの時間を堪能するような形だ。
除漫才之外,一发技也一样,需要卖力搞笑的人和观看享受的人以同样的频率进行呼吸。搞笑段子的“噱头”每次都一样,观众们却都回回买账捧腹大笑。观众不仅仅是被逗乐了,甚至在知晓“噱头”的情况下,等待“笑点”降临的瞬间。因为日本的搞笑艺术的流程就是直到决定性噱头出现之前不断铺垫吊人胃口,也就是所谓云霄飞车达到顶高点前,需要稍作忍耐的形式。
ただ、この漫才における「ツッコミ」については、私のなかで苦い経験がある。ドイツに来て間もないころ、語学学校で「ツッコミ」が原因で友人関係崩壊の危機に直面したことがあるからだ。
只不过,关于漫才中 的“吐槽”,笔者也有着心酸的体验。来德国没多久的时候,在语言学校因为“吐槽”的原因,直面友情崩坏的危机。
日本のお笑いが無意識に身に付いていた私は、「ボケ」のような発言をした韓国人の友人の頭を「ツッコミ」のノリで叩いてしまったのだ……。叩かれた友人は驚いて「私の国では人を叩くことが笑いとは思えないから、それはやめて」と今までにこやかだった友人が真顔で私に言った。そのときの一瞬で凍りついた空気は、今でも忘れることができない。
无形中深受日本搞笑文化熏陶的笔者,在听到韩国友人如同“装傻”一般的发言后,条件反射地敲打了对方的脑袋,配合“吐槽”。被敲头的友人一脸震惊,“在我们国家,打人家头可不好笑,请别这样了”,至今为止一直都慈颜善目的友人,一脸严肃地对我说。那一瞬间冻僵的气氛,至今我都无法忘怀。
普段何気なく見ている日本のお笑い番組だが、異文化というフィルターを通して見直してみると、日本では気にもしていなかった点が見えてくる。それと同時に、笑いは言葉や文化の影響をとても強く受けていることに気付かされるのだ。このような差異の上に成立するからこそ、万人に受け入れられる笑いを行うのは容易ではないのであろう。
平常若无其事观看的日本搞笑节目,通过异文化这一滤纸就会发现一些日本人的盲区。同时,也能发现“搞笑”受语言、文化的影响颇深。要建立在巨大文化差异之上,创造一个受到万人爱戴的“搞笑段子”也不是件容易的事。
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